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まっぴん
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【インタビュー】笑”さん④~キッカケと想い~

チームインタビュー16チーム目笑”さんの4つ目の記事です!!

 

 

第4回は今回インタビューを受けていただいたぱーしーさん・ないーぶさん・ばるぼさんのそれぞれのよさこいを始めたキッカケ、そして笑”に入ったキッカケをそれぞれお聞きしました。

こちらの3人は3人とも現在社会人で大学生のときにはよさこいをやっていました。

時期的に学生チームを引退された方も多いと思います。

それでよさこい自体を辞めてしまうのもとってももったいないので是非今どまつりを牽引しているチームと言っても過言ではない笑”さんの代表・副代表の方がどういうキッカケ、想いで社会人になってもよさこいを続けているのか、参考になれば嬉しいです。

 



 

目次

目次

 

ーーーじゃあお三方のよさこいを始めたきっかけと、それからなぜ笑゛に入ったのかをお聞かせいただきたいと思います。

 

1. 副代表ばるぼさん

 

□ よさこいを始めたキッカケ

 

ばるぼ : よさこいを始めたキッカケはただ大学入った時の最初の、友達作らなきゃって付き合いで誘われたよさこいサークルの歓迎会。そこで総踊りを踊ったら

 

くそ楽しいやん

 

ってなって入った。それが「天狗ぅ」ってチームで2年間いました。

 

□ 笑”に入ったキッカケ

 

その後「自分で作ったりしたいなぁ、でもできなかったな」って思って、そのうっぷんを晴らすために鈴鹿にある社会人チームに入って。

でも「物足りんな」「やっぱりどまつりファイナルの舞台立ちたいよな」「どこいけるかな」土日練習あるところ笑”しかないな」ってので、笑”いこうって感じですね。

 

ーーーでも社会人になってもやろうと思うと練習日ってめちゃめちゃ大事ですよね?

 

ばるぼ : 大事ですね。私、本当は夜宵に入りたかったんです。でも練習日が火・金だったので断念したんです。

もし夜宵に土曜日練習があったら、私夜宵にいました笑

 

ぱーしー : えー!知らんかった。笑

 

ばるぼ : 夜宵の天照を見て「これだ!」って思って。一番きれいな話にまとめるなら

 

一番最初に見た他チームが笑”だったっていう。

 

ーーーまとめたね笑

 

ぱーしー : 夜宵の話聞いてからだからね笑

 

ないーぶ : 何も入ってこないよそれ笑

 

一同 : 

 

ばるぼ : っていう結構不純な。

皆笑”に憧れてきて入ったって言ってる子がほとんどやと思うんですけど。

 

ぱーしー : でもここ3人憧れてタイプじゃないよ。笑

 

□ バサカニで感じた笑”の凄さ

 

ばるぼ : 全然憧れてなかったですね。まあ行ってみてバサカニでこんな曲踊るんだって動画見たら

 

あ、すげぇ

 

ってなったって感じですね。

元々いた社会人チームを立て直すために笑”に勉強に行くってのも目的の一つだったので笑”で学ぼうと。

そしたらやっぱり笑”はすごかったというか、目線が違ったなっていうので入っちゃいました。笑

それが事実!以上です。

多分ためにならない話なので、私の話は。練習日大事ってことで。

 

ーーーそうですよね。社会人になっても続けられる最も大事なことは練習日が合うかどうかは重要な要素ですよね。

なかなか仕事ある日の夜に練習は行きにくいですし。

あともう一個思ったのは、学生が学生チームを卒業して社会人になってからもずっと続けようってモチベーションのひとつに「なにかやり残したことがあるから続けよう」ってモチベーションなんだなって。

嘉們さんのインタビューした時も、嘉們立ち上げた理由もそこなんですよね。「やり残したことがあるからそれをするぞ!」って立ち上げてやってたんで、結構一個大きなモチベーションになるのかなって思いました。

 

2. 副代表ないーぶさん

 

□ よさこいを始めたキッカケ

 

 

ないーぶ : 次は俺。

前いたチームは名古屋学生チーム「鯱」で、2010年〜2013年までいました。

高校時代にバンドとか応援団とかやっていて、人前に出て何かしらしたり声出したりするのは好きで。で、バンドも飽きていたので、大学生になったらダンスとかやりたいなーって思っていたのが最初。

 

 

ただバンドもダンスも結局ライブハウスとかの箱でやってるので、もう少し広い範囲でやりたいと感じていました。

そしたらたまたま「鯱」が僕の行ってる大学の新歓で演舞をしていて、たまたま「鯱」の新歓が自分の大学のキャンパスで行われると。そこで

 

全国に友達できるよ、面白いよ

 

って言われて入りました。

 

なのでよさこいがやりたくて入ったというより、人前で何かパフォーマンスをやりたくて、学内に友達作るより他の大学に友達を作りたいなってニーズにピタッとハマったのが「鯱」だった感じですね。

 

□ MCというスイッチ

 

でも踊り子としては多分モチベーションが低い方で、自主練なんかは1年生の時1回も行かなかったですし。入ってすぐのソーランの遠征も行ってないですし。大道具作業もたまーに行くぐらい。鯱会も曜日固定の塾講師のバイトをしていたのでほぼ欠席。

 

ずっと「居ないーぶ」って呼ばれてました笑

 

ちゃんと続けようと思ったのは2年生になる前。

さすがに舐められる先輩よりは尊敬される先輩になりたいなって思って、踊りを頑張ろうとしてました。

そんな中で同期の「監督」ってやつがチームの代表になったんですね。「こころ晴れ」で初めての大賞を取る時の代表。代表に同期がなっていく中で自分は1年目そんなに頑張ってもなかったし、同じ方向性で努力を重ねても監督ほどチームのことを考えられるわけでもない。

あとは「こぶし」って振りコーチが同期でいたんですけど、振りコーチが作る振りなんでそいつが一番うまいに決まってるじゃないですか。だからそこには踊りでは勝てないし、、、と少し悶々としていたんです。

 

そんな時に新曲MCのオーディションがあった。女のMCは元々やりたいって子がいたので候補者がいたんですけど、男は強く希望してる人がいなくて幹部2人が出た感じでした。

オーディションの日の朝、いきなり監督から電話がかかってきて「MCやってみない?」って言われ、たまたまバイトがなかったので参加し、オーディション受けたら作曲家さんに「ないーぶがいいんじゃないのか」と言われて。

 

当時、同期の男子が9人ぐらいいたんですけど、それぞれキャラ付けや飛びぬけた良さがある中で「MC」という道が開けて

 

「MCだったらこぶしや監督にはできないけど、

自分には出来るんだ」

 

と思った。そこからですかね。よさこいに本格的に向き合おうと思ったのは。

 

ーーーじゃあ実際踊り子としてやってたのって1年くらいなんだ。そっからずっとMC?

 

ないーぶ : はい。ずっとMCです。でそこから、「こころ晴れ」で大賞取らせていただいて。次の年は鯱の副代表をやらせていただいて、自分をどんどんいろんな人に知っていただける。それを通じてチームになにかしらの貢献ができる。っていうところが面白くなっていって、どっぷりはまっていきました。

 

□ MCとして社会人チームへ

 

それで、ばるぼの話とも被るんですけど、社会人でよさこいを続けていくなら僕は「心纏い」のつもりだったんですよ。3年生の時に「喝采」の限定に行かせていただいて、山車隊やらせていただけてすごく楽しくて。

でもその反面、1年でもマイクを持たなくなったら世の中の人が「ないーぶ」っていう存在を忘れていくんじゃないかとすごく怖かった。

 

そんな時にきょうすけさん(「笑”」の3代目の代表)に、

 

「来年「笑”Revolution」という曲をやる」

「今までの笑”とは全く違う曲になるからやってみない?」

 

と声をかけていただいて。

(今は)学生チームのMCから社会人チームのMCに上がっていくのが主流ですけど、当時はそんなの全くなかったので、そこで初めてMCで社会人チームにいくという選択肢もあるんだなと思いました。

 

4年目「『鯱』に残る」か「同期が『鯱』続ける中『笑”』に行くか」で悩んで、結果、

常に本気で勝ちに行く「笑”」の姿勢にすごく魅力を感じたのと、

自分が培ってきたものをフル動員してもまだ「足りない」って言われるのが面白そうだなって思って、笑”に行くことを決めました。

 

 

だから明確に何かこうしようとか、笑”に行こうと思って動いてきたわけではなくて、いろんな人にご縁をいただいて笑”に行き着きました。

・・・これも全く参考にならないですね。

 

一同 : 笑

 

ーーーいやいや、でも学生チームでMCをやられていたひとがそのまま社会人チームでもMCをやるっていう道筋を作った立役者の1人でもあるので貴重なお話しですよね。

 

それでは最後に代表であるぱーしーさんがものすごく素晴らしいお話をしてくれると思いますのでお願いします!!

 

3. 代表ぱーしーさん

 

□ Danspo安城と中学の先生

 

ぱーしー : 僕がよさこいに触れたキッカケは、安城七夕祭りなんですよ。

安城市が市政50周年を迎えた時に「Danspo安城」っていう曲が出来て、それに振りを好きに付けて踊っていいよっていうコンテストがあって。それで中学校で出るって話になったんですよ。当時12歳の時で。そのときにそれだけじゃなくてソーラン節とよっちょれも先生に教わってて。

実は僕は当時全然知らなかったんですけど

 

その先生は笑”のMCをやってる人

 

だったんですよ。一番最初の笑”でMCをやってる赤い法被の方は僕の中学校の先生だったんですよ。赴任校が僕の中学校だったんですよ。そこで先生がよさこいをみんなに教えてて。

ただまぁ中学生だったので犬山に行くことがちょっとまだできないなって。でも高校生になった時に踊ることは続けたいなって思ってて刈谷の「我無沙羅」に2年間所属していたんですよ。

 

ーーーえー!!そうだったんだ。

 

□ 笑”しかない

 

ぱーしー : で我無沙羅が一旦解散した時期があって。そのタイミングが僕が高校受験だったので進路が決まった時に先生に電話をして、

 

大学生になって自分で動けるようになったから踊りがやりたいから笑”に連れてってくれ」って。

 

どまつり2年も出てたくせに笑”のことしか僕知らなかったので次何かやろうかなって思った時に僕の中にあった選択肢は笑”しかなくて。

それでそのまま笑”に連れてってもらってずっと続けてるっていう感じですね。

 

□ 仕事も住まいも犬山で

 

学生の間は通い続けて、社会人になるタイミングでどうせやるならもっとどっぷりやりたいよねって就職先を犬山でしか探さなかったんです。

 

ないーぶ : クレイジーボーイですよ。

 

ーーーすごい・・・高知のよさこい祭りが好きすぎて高知に移住しましたぐらいすごい。

じゃあ今住んでるのも犬山市?

 

ぱーしー : そうです。石作公園(犬山踊芸祭のメイン会場)のすぐ近くに住んでます。

 

□ そしてかつての先生と同じMCというポジションへ

 

ぱーしー : 僕がMCを2年間やってたキッカケも先生が元々やってたポジション。2人目のつばささんに変わった時に「MCって変わることあるんだな」って思って。その人がまたもしどっかで変わるタイミングがあるんだったらその時は手を挙げようと思って、ちょうどそれが「粋(いきのじ)」のタイミングだったんです。

 

ーーーすごいストーリー。まさに物語ですね。

黒い学ランから黒い法被になったんですね。

ようやく当時憧れていた先生と同じポジションに立ってしかも代表をやられているんですね。

めっちゃかっこいいです。

 

それにしてもみなさん三者三様で面白いです。

ありがとうございました!!

 

ーーーーー

 

第4回は以上です。

よさこいを始めたキッカケ、今のチームに入ったキッカケってほんとにひとそれぞれで面白いですよね!!

最初からバッチバチにのめり込むひともいれば、入ったときはそんなに高いモチベーションではなかったけど何かのキッカケでのめり込むようになりそしてチームの重要なポジションに就きチームを引っ張っている。

そして過去様々な方へインタビューを行ってきましたけどなんとなくよさこい始めてから何かのキッカケでバチン!とスイッチが入って今チームを率いている方が多いようですね!

 

これをお読みのあなたはどのような理由でよさこいを始めましたか??そして今のチームにはどのような理由でいますか??

このコロナ禍の今だからこそ改めて自分がやっている理由を思い出して再認識してみるのもいいかもしれません。

 

さぁいよいよ次回が最後のインタビュー記事になります!

ラストはYOSAKOIソーランのお話です。大賞をつかみ取ったときの様子をお話していただきました。

すごくタメになりますよ。まじ。

 

ーーー

【過去の記事はこちら】

①笑って踊って汗かいて

②圧倒的パレードの秘密

③笑”と犬山

 



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この記事を書いた人

どまっぷブログ編集マン。大学生の時によさこいを一目見て「これだ!」と思い大学生活を捧げる。その後ダンスや舞台経験を経て振付師として活動しつつどまっぷ記事書いています。

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